民進党の代表選の際に、前岡田代表が蓮舫さんについて、「多様な価値観はわが党にとって非常に重要なキーワードだ。お父さんが台湾出身で、女性であることは多様性の象徴であり、民進党の代表としてふさわしい」と述べていました。その時、自分の生き方とかに関係なく持って生まれたものが多様性の対象になるのかなとふと疑問に思いました。
これこそ多様な価値観ではないかと思った雑文を読んだことがありますのでご紹介したいと思います。平安時代の女性達で、清少納言(966年頃生~1020年頃没)、和泉式部(974~978年頃生まれ1025年頃までの消息は判明)、赤染衛門(960年頃生~1040年頃没)、紫式部(970年頃生~1031年頃没)のうち、赤染衛門はあまり有名ではないですが、その他の3人は皆様よくご存じだと思います。そして4人とも全くの同年代を生きています。清少納言は一条天皇の中宮である定子に女房(高級女官)として仕え、その後の中宮である彰子(藤原道長の娘)の女房として紫式部、赤染衛門、和泉式部が仕えています。
清少納言は、自分の才能を覆い隠すことなく自由奔放に表現したということです。当時、漢文は男性の言葉だったのですが、漢文に対する素養を押し隠すことはなかったということです。そのため紫式部は日記で清少納言のことを「したり顔にいみじゅう侍りける人」(得意顔をして厚かましく立ち振る舞いする人)ときびしく非難しています。次に赤染衛門は、人柄が良く良妻賢母の鏡と評されています。1人の夫を死ぬまで大事にしたそうです。そして和泉式部は自由奔放に生き今流行りの不倫もしていました。それに対して赤染衛門がこれを諌めた歌を贈っています。紫式部も漢字の素養があったのですが、「一という字も書けません」と言って、わざと才能を押し隠したそうです。ボケッとしたふりを装ったり、おっとりしたふりを装ったりしていたそうです。
こういう4人の生き方あるいは価値観と言ってもいいと思いますが、これこそ多様性ではないでしょうか。そして1000年以上も前にこのような多様な生き方が許されていた平安時代にビックリです。